津山市城西地区
津山の地に城下町を建設したのは、美作一国支配を実現した森忠政です。忠政は慶長8年(1603)に美作国18万6500石を領有し、翌9年に城地を鶴山(現津山城跡)に定めました。
城下町の構成は、城の周辺に武家地を配し、城の南側に東西に貫通するように出雲往来を配し、往来沿いには町人地を、そして城下町の外縁部(東・西・北)に社寺を配置しました。
城西地区は城下町の西側にあたります。
城下町の構成は、城の周辺に武家地を配し、城の南側に東西に貫通するように出雲往来を配し、往来沿いには町人地を、そして城下町の外縁部(東・西・北)に社寺を配置しました。
城西地区は城下町の西側にあたります。