重伝建のまち並み - 城西まちづくり協議会

重伝建のまち並み

津山市城西地区
津山の地に城下町を建設したのは、美作一国支配を実現した森忠政です。忠政は慶長8年(1603)に美作国18万6500石を領有し、翌9年に城地を鶴山(現津山城跡)に定めました。
城下町の構成は、城の周辺に武家地を配し、城の南側に東西に貫通するように出雲往来を配し、往来沿いには町人地を、そして城下町の外縁部(東・西・北)に社寺を配置しました。
城西地区は城下町の西側にあたります。
城西伝統的建造物群保存地区(令和2年12月重伝建選定)
城西伝統的建造物群保存地区は、城下町の西部に位置し、坪井町、宮脇町、西今町、茅町の出雲往来沿い及び西寺町と小田中の一部を範囲としています。
西寺町は津山城最大の寺院集積地で、江戸時代には22もの寺院が並んでいました(現在は13ヶ寺)。現在でも、17世紀初頭〜20世紀後半の各宗派各時代の建築様式がみられます。
出雲往来沿いの町々は商家町として、江戸時代の地割を残しつつ、明治時代以降大いに発展しました。特に、明治31年(1898)の中国鉄道(津山〜岡山駅間)の開通により劇的な変化が現れ、津山駅(現津山口駅)で汽車から降りたモノやヒトは、城西の町々を通って城下町中心部へ移動したため、城西が津山の玄関となり、繁栄しました。この地区の繁栄を象徴するかのように西今町に津山市田邑の資産家である土居家の個人銀行「土居銀行津山支店」が明治42年(1909)に置かれました。
現在、この土居銀行津山支店は作州民芸館として生まれ変わり、城西地区の象徴として親しまれています。
津山城西地区 MAP
城西のまち並み・特徴